「奇跡」が育む命の水。

 
栃木県さくら市の酒蔵「仙禽(せんきん)」の代名詞は「仙禽オーガニックナチュール」。「生酛造り」などの日本酒の伝統的な製法と、「ナチュール」や「ドメーヌ」といったワインの概念とを融合させ、日本酒の世界に新しいジャンルを切り開いています。

「仙禽(せんきん)」の創業は1806年。江戸時代後期に建てられた重厚な大谷石づくりの蔵の一角に、高さ2m程の吉野杉の木桶が整然と並ぶ部屋があります。木桶で醸成されるのが「仙禽オーガニックナチュール」です。
photo by Yoma Funabashi
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味わいは果実のような甘味と香り、優しい酸味が特長で、軽やかさと美しさの奥に幾重もの複雑味が存在します。「仙禽」の杜氏、薄井真人さん(40)は語ります。「蔵の常在菌、古代米、木桶、そして生酛という江戸時代には主流であった製法が非常に複雑な味わいを生んだ。僕らは『奇跡の技術』だと思っています」。
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「この地だけでしか作れない酒とは何か?」

約15年前、薄井さんの兄で、ソムリエだった一樹さんの11代目蔵元継承と共に「仙禽オーガニックナチュール」づくりに着手しました。「この地、仙禽だからこそ造れる日本酒を」と考え、たどり着いた答えが「ナチュール」や「ドメーヌ」の概念、そして約500年前の室町時代に源流が生まれ、江戸時代に完成されたと言われる製法「生酛造り」への挑戦でした。
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「ナチュール(自然派ワイン)」は、無農薬・無肥料で栽培したブドウで醸造したワイン。「ドメーヌ」はフランス語で「区画」「領地」を意味し、自社で栽培・製造・流通を一貫して行う製造者を指します。一樹社長のソムリエ経験から得たワイン醸造の概念を拡張し、無二の日本酒造りを目指したのです。
photo by Yoma Funabashi
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蔵のある旧氏家町は日光連山を源とする鬼怒川の水が伏流水となって町の各所に湧き出、多くの中小河川の水源地となるほど水に恵まれています。その水を仙禽でも長年仕込みに使ってきました。
また、原料である酒米の栽培も仕込み水と同じ水脈の土地に限定し、水脈を共にする農家の方々に生産を依頼しました。さらに、酒米の品種にもこだわります。多くの酒米の祖であり、関東で最も多くつくられていた「亀ノ尾」を採用。2017年からは、無農薬・無肥料で栽培した酒米のみでの醸造も実現しています。

「500年前と同じスピリットで」ルールのひとつ

生酛造りとは、酒蔵に生息する乳酸菌や酵母を酒母の中で増殖させ、その力で雑菌を排除してアルコール発酵に必要な酵母が活動しやすい状態をつくり、発酵を促す醸造方法です。自然の乳酸菌を活発にするために米、米麹、水を均一に混ぜて櫂(かい)という先端が板になった木の棒を使ってすり潰して練り溶かして半液状にして酒母をつくる「酛擦り(山卸し)」という重労働が伴います。多くの酒蔵で一般的に採用されている「速醸造り(乳酸菌や酵母を添加するつくり方)」と比べて、酒母づくりだけでも約2倍の期間、4週間近く掛かります。
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酒米をアルコール発酵させるためには、まずコメのデンプンを糖化させる必要がありますが、前述したように亀ノ尾は効率的に糖化が進むよう改良された酒造好適米ではありません。酒米は精米歩合を高めるほど水に溶けやすくなりますが、精米機が無く人力で精米していた時代には、コメを削ることが難しかったであろうという推測から、精米歩合も90%の低精米(10%のみ削る)に留めています。
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「酵母を買えば時間は短縮できますが、ここに棲む乳酸菌と酵母を使えば世界中どこを探しても同じものはない。『ここでしか作れないお酒』になります」と薄井さん。自然淘汰で生き残った乳酸菌・酵母によって生まれるふくよかな酸味と力強さは、亀ノ尾本来の米のうま味と相まって、「仙禽オーガニックナチュール」の生命線である複雑味を生み出しました。

華やかさと重厚感が共存する酒

華やかさを演出する酸味と重厚感を生み出す複雑味を併せ持つ「仙禽オーガニックナチュール」は、ワイン同様に肉料理、オイル分の多い洋食にも合うテイストとして若い女性を中心に新たな日本酒ファンを獲得。海外の評価も高く、2022年4月にはパリで開催された「第16回フェミナリーズ世界ワインコンクール」純米酒部門金賞に輝きました。「にごり」「スパークリング」などシリーズ展開もしており、仙禽ナチュールシリーズは2022年11月現在、世界16カ国に輸出され、さまざまな食文化に受け入れられています。
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「酒づくりの仕組みについて科学的な裏付けがなかった時代、昔の人は五感を頼りに菌の状態などを判断していた。途轍もないことです」と薄井さん。
効率を重視した量産体制を整えざるを得なかった戦後の酒造りから180度の方向転換。文献を読み漁り、10年以上の歳月を掛けて風土と共創する昔ながらの日本酒造りを目指す「仙禽」は、蔵の中も外も、木桶の中も、酵母たちも、酒に向き合う人たちもナチュラルでピュア。蔵に棲む菌たちがひっそり静かに米に降り立ち、杜氏が五感を研ぎ澄まし、木桶の中で起きる「奇跡」をひたすら待つ―――。時を超え、時間を掛けて絞り出されたその一滴は、美しく、そして生命力に溢れています。
photo by Yoma Funabashi
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Text/Atsuko Ichimura