
焼きそばの街には、店の数だけ味がある。
群馬県の太田は知る人ぞ知る「焼きそばの町」です。静岡県の富士宮、秋田県の横手と並んで「日本三大焼きそば」と称されることもあります。2002年には「上州太田焼そばのれん会」が発足。県内外に名物の焼きそばを訴求しています。「上州太田焼そば」の歴史と特徴を聞き、会長の店の焼きそばも紹介してもらいました。
太田市は大正時代から工業の町として知られています。戦前は民間初の国産エンジンメーカーである中島飛行機製作所が操業し、戦後は「富士重工」(現「SUBARU」)に代表される自動車産業の中心地としておおいににぎわいました。

自動車工場とともに
「上州焼そばのれん会」(以下、のれん会)の会長である須藤數男さんによると、終戦後にはこのあたりの駄菓子店や和菓子店でソース焼きそばを提供していたそうですが、太田の焼きそばのルーツについては諸説あります。
高度成長期に工場の人手不足を補うためにたくさんの人が出稼ぎとして太田にやってきました。彼らがソース焼きそばを太田に持ち込んだという説をのれん会では紹介しています。一方で祭りのときなどに屋台で販売されていたソース焼きそばが広まったのではないかと主張する人もいます。

いずれにしても、もともと両毛地域の土地は稲作に適さず、小麦の栽培が盛んでした。その影響でうどんをはじめとする麺文化が発達し、製麺所がたくさんあった。焼きそばが親しまれた背景には、そういった事情があると推察できます。くわえて汁がないので持ち帰りやすく、安くてお腹がいっぱいになる焼きそばは、工場で働く従業員に好んで食べられたようです。こうした条件が重なったことで焼きそば店が徐々に増えていき、町のいたるところで専門店が営業するようになりました。

その数は最盛期からは減ってしまいましたが、のれん会に加盟しているだけでいまでも30店近くの専門店が営業しています。2002年には太田の焼きそば文化を県内外に訴求する目的で、焼きそば専門店と製麺所やソースメーカーが加盟するのれん会が発足。ガイドブックを作成したり「B-1グランプリ」に出場したりするなどの活動を続けています。
特徴がないのが特徴
それでは、太田の焼きそばにはどのような特徴があるのでしょうか。のれん会に聞いたところ、意外にも「これといった特徴はありません」という答え。太田の焼きそばは「特徴がないのが特徴」なのです。

太麺を提供している店が多いようですが、なかには細麺の店もあります。味つけも甘めが主流ではあるものの、甘辛味、中華風、洋風などさまざま。あくまで店ごとに味わいが異なるので、店の数だけ焼きそばの味があるのです。その点で、ほかの地域の名物焼きそばとは異なります。

ただ、あえて共通項を記せば、いずれの店も具材は最低限ですが、その代わりに価格は低く抑えられていて、そばの盛りはたっぷり。1人前が500円以下という店がほとんどですから、都心の感覚からすると信じられないくらいに安いといえます。いまも昔も変わらずに、太田の焼きそばは庶民の味方なのです。
5種類のソースをブレンド
話を聞いた会長の店「田舎屋」の焼きそばも個性的です。須藤さんはもともと長距離トラックの運転手で、その後はガス会社に勤務していました。定年退職後に親類が保有する物件が空いていたことから田舎屋を開業したそうです。

須藤さんの焼きそばは、独自に試作を重ねて市販の5種類をブレンドした特製ソースを用いています。しっかりした甘さのなかにも酸味が感じられる食欲がそそる味わいで、キャベツと一緒に蒸し焼きにした太麺と好相性です。

取材中には「この焼きそばでないとダメなんですよ」という常連客も訪れていました。店舗は屋号のとおり趣のある建物で、ついつい長居したくなるような懐かしい雰囲気です。須藤さんが草野球で活躍した際のパネル写真も飾ってあります。

田舎屋をはじめ、太田には個性的な焼きそば店がそろっています。のれん会のガイドブックを入手して食べ歩き、自分の好みの一軒を見つけてみてください。
Text/Tetsuo Ishida