
絹織物と郷土料理の関係
機織りの町として隆盛を誇った桐生に、明治時代から続くうどん店があります。県内外からお客さんが訪れる人気店の店主は先代の遺志を受け継ぎ、桐生名物「ひもかわうどん」で町の活気を取りもどそうと奮闘中です。創業130年を超える老舗に足を運び、桐生の独特な食文化を体験してみませんか。
JR桐生駅から1㎞、東武鉄道新桐生駅からは2㎞程度の場所にある「桐生新町」は、絹市で栄えた市場町でした。1887(明治20)年に創業したうどん店「藤屋本店」も、当初こそ郊外に店を構えていましたが、3代目が機織り店の連なる町中に移転。戦後に繊維産業が復活して町が活気を取りもどすと、店はおおいに繁盛したといいます。

先代の遺志を継いで
2009年には現店主である藤掛将之さんの父親で5代目にあたる藤掛勇さんが、隣接するいまの場所に再移転しました。繊維業界が低迷して以来、町の景気も長いこと下向きでしたが、内外装を全面的に新装して新メニューの提供を開始。県外からお客さんを呼び、地域活性化の取り組みに力を入れようとしたのです。しかし、勇さんは2013年、病気のために志半ばで亡くなってしまいます。その勇さんの遺志を継いだのが、6代目の将之さんでした。

先代の勇さんが店を移転する前までは、いわゆる「町のうどん屋さん」という風情だったそうですが、いまの店は老舗の風格を感じる町屋づくりであるいっぽう、内装はモダンな雰囲気です。県外からの観光客が使い勝手のいいように、駐車場や屋外トイレも設置しました。先代が好きだった日本酒もそろえて、夜の宴会、居酒屋需要にも可能な限り対応しています。

そうした施策の結果、県外からたくさんのお客さんが訪れ、昼時には行列ができるほどになりました。彼らの目当ては、桐生名物の「ひもかわうどん」です。平打ちしたうどんのことで、麺の厚みは1~2㎜、幅は5㎝から幅が広いものだと10㎝を超えるものまであります。藤屋本店のひもかわは、幅6~7㎝でしょうか。つるっとした舌ざわりで、やわらかい食感。するすると食べられてしまいます。
「ひもかわ」はどこからやってきたのか?
この独特な形状のひもかわは、その起源がよくわかっていません。江戸時代から似たような形状のうどんが各地で食べられてきたという記録は残っていますが、それが桐生に伝わったのか、あるいは桐生で独自に生まれた食べものなのかは定かでありません。

このあたりではもともとコメがつくれない代わりに小麦の文化が発達し、うどんが好まれていました。ひもかわに関しても少なくとも明治時代の初期には食べられていたようです。将之さんによると、麺が薄くてゆで時間が短くて済むため、機織り工場で忙しく働く女性従業員にとくに人気だったといいます。ひもかわの独特な形状は、機織り機によって織られる布に似ていなくもないですが、もしかしたら関係があるのでしょうか。

また、いまでは藤屋本店をはじめ、ほかのうどん店でもひもかわを通年で提供していますが、以前は冬の時期に店で麺だけを購入して自宅に持ち帰り、鍋焼き風に煮込んだり、みそ汁に入れたりして食べるのが普通でした。

藤屋本店で「つけ麺」や「せいろ」という形式で冷やしたひもかわを提供するようになったのは、県外からの観光客に訴求するためだったといいます。いまでは地元の人たちもひもかわを一年中食べるようになりました。ひもかわうどんを県外に知らしめようとする過程で、歴史のある食文化が変化していったことがうかがえます。
関東の蕎麦文化と両毛のソース文化
藤屋本店では、ひもかわのほかに、通常のうどんと蕎麦も提供しています。3種の麺を打つので、将之さんは大忙しです。その麺類にくわえて人気なのが、こちらも桐生名物であるソースかつ丼。藤屋本店ではうどん(蕎麦)店らしく、店で仕込んだ「かえし」にウスターソースを加えたオリジナルのタレにヒレカツをくぐらせます。かえしを使う関東の蕎麦文化と両毛地方に根づくソース文化が融合したことになります。

店のある区域は重要伝統的建造物群保存地区に指定され、いまも古くからの町並みが残っています。最盛期に比べればずいぶん廃れてしまいましたが、最近になって廃業した銭湯を復活させたり、古い建物をリノベーションして小さな商店が開業したりと、町おこしの動きも出てきました。将来的には、いまは倉庫として使っている藤屋本店の旧店舗も町の振興のために活用したいと将之さんは話します。

絹織物の産地として名を馳せた由緒ある桐生の町で、2大名物であるひもかわとソースかつ丼を味わってみてはいかがでしょうか。
Text/Tetsuo Ishida