
名産地で育まれた、独特な蕎麦文化。
蕎麦は日本各地で食べられています。日本の国民食のひとつといってもいいかもしれません。とはいえ、それぞれの地域に異なる蕎麦文化が存在しているのはご存じのとおりです。栃木県の鹿沼にも、非常にめずらしい蕎麦の食べ方が根づいています。蕎麦を愛してやまない鹿沼の人々が生んだ独自の蕎麦文化に触れてみませんか。
東武日光線の特急で東京から70~80分で到着する鹿沼は、関東でも有数の蕎麦どころです。当然、市内にはたくさんの蕎麦店がありますが、そこで必ずといっていいほど目にするのが、「ニラ蕎麦」という不思議なメニューです。
ニラ×蕎麦の不思議
文字面だけでは想像しにくいかもしれませんが、ざる蕎麦の上に湯がいたニラをのせるか、蕎麦と一緒にニラをゆでてざるに盛ったものがニラ蕎麦です。いずれの場合でも、はじめて見るとちょっとした違和感を覚えるかもしれません。
なぜ、この食べ方が普及したかというと、そもそもは蕎麦の“かさ増し”のためにニラが使われたようなのです。老舗製粉・製麺会社の米山そば工業株式会社代表取締役で、「鹿沼そば振興会」の会長でもある米山慎太郎さんによれば、戦後の食糧難の時代にこの地でさかんに生産されたニラと一緒に食べることで、主食であった蕎麦の供給不足を補っていたといいます。

幅広でジューシー、かつ臭みが少なく、甘みが強いといわれる鹿沼のニラと蕎麦を一緒に口に含めば、薬味がなくても味わいが単調になりません。加えて蕎麦だけで食べるよりもビタミンEやβカロチンをはじめとする豊富な栄養素を摂取できるので、食糧難が解消されたあとも今日まで親しまれてきたということなのでしょう。
地元で親しまれ続ける蕎麦
ニラ蕎麦に限らず、鹿沼では昔から蕎麦が庶民に親しまれていました。米山さんが文献をあたったところ、江戸時代の元禄年間には、すでにソバが栽培されていたといいます。その後も明治2年(1869年)に板荷地区に用水路「久保田堀」ができるまでは鹿沼には水田がなかったので、蕎麦のほか、ヒエ、アワが主食に用いられてきたのです。
なかでも蕎麦は、庶民にとっていちばんのご馳走。遠方からお客さんが来たときには、蕎麦を打ってもてなすという文化もあったそうです。決してコメがないから仕方なく蕎麦を食べていたというわけではなかったと米山さんは強調します。
実際、ほかの蕎麦どころといわれる場所では、もっぱら観光客が蕎麦を食べているのに対し、鹿沼ではいまでも地元住民が好んで蕎麦を食べていると米山さんは話します。そこまで観光客が多いわけでもないのに、町中にたくさんの蕎麦店が存在することからも、いまも蕎麦が地元民に愛されていることがうかがえます。
東京からもっとも近い蕎麦の郷
現在、鹿沼では蕎麦の品質を訴求すべく、振興会が認証制度を導入しています。2021年現在で25店の蕎麦店と米山そば工業を含む6軒の製粉・製麺会社が加盟。蕎麦店に対しては、鹿沼産ソバ粉を100%使用し、かつソバ粉の含有率が70%以上といった認証の基準を設定して品質を担保するとともに、加盟店が掲載された地図も作成。毎年11月には「鹿沼そば天国」という催しも開いています。
このように「東京からもっとも近い蕎麦の郷」として認知度の向上に尽力している米山さんが、いま着目しているのが「鹿沼在来そば」の存在です。鹿沼にしか存在しない在来種のソバを栽培し、復活させる一大企画なのですが、その話は後編で詳しくお伝えします。

現地ならではのニラ蕎麦をはじめ、地元民に親しまれる蕎麦を食べに鹿沼を訪れてはいかがでしょうか。日光例幣使街道沿いにある米山そば工業の直売店「米山そば治平庵」では、打ちたての蕎麦をはじめ、蕎麦粉や蕎麦茶、手打ちそばの道具各種も展示、販売しています。お土産も購入できるし、おすすめの蕎麦店を教えてくれるはずです。
Text/Tetsuo Ishida