江戸のレシピを味わえる奇跡

日本人であれば「江戸時代」という響きにそこはかとなく興味を覚えるものではないでしょうか。ことに江戸時代の人々がどんな食事をしていたのか気にはなりませんか? 江戸後期から商人町として栄えてきた栃木市の「かな半旅館」では、当時の地元の人たちが食べていたであろう「江戸料理」を体験することができます。栃木ならではの郷土料理と、古文書を読み解いて再現した宴席料理を200年以上続く老舗旅館で味わってみるのも一興でしょう。

 
photo by Yoma Funabashi
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栃木県南部に位置する栃木市は、日光東照宮へと向かう脇街道である日光例幣使街道が通り、江戸時代初期には宿場町としてにぎわいました。後期以降は、渡良瀬川と巴波川を利用した舟運による物資の集積地として発展し、その面影が藤岡町部屋地区の河岸や中心部の蔵の街並みとして残されています。

「蔵の町」にたたずむ老舗旅館

商人の町として栄えた栃木の目抜き通り沿いには歴史のある建物が現存しています。なかでも目を引くのが風情ある外観の「かな半旅館」です。
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江戸時代の安永年間(1772~81年)に創業した老舗で、女将の志鳥泰子さんは10代目だといいます。その彼女が近年力を入れているのが、「江戸料理」の再現です。栃木市の地域振興事業である「とちぎ江戸料理」という企画に参加するように依頼されたのがきっかけでした。
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かな半旅館では現在「江戸御膳」と「本膳 かな半料理帖」という2種類の「江戸料理」を主題にした献立を体験することができますが、提供するまでの道のりは平坦ではありませんでした。当初は文献を頼りに江戸時代の料理を再現したものの、当時のままの調理法ではどうしても現代の人たちの口には合わない。そこで発想を変えて、あくまでおいしくて、かつ「栃木らしい江戸料理」をめざすことにします。

海なし”の栃木では「サメ」を食べる

江戸御膳は、栃木の地で古くから親しまれていた郷土料理です。化石燃料がない時代、つまり電気やガス、冷蔵・冷凍庫、自動車などがなかった時代の料理と言い換えられるかもしれません。当時は地元でそのときに手に入る食材しか用いることができなかったわけです。
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主菜である「モロのにら玉甘酢あんかけ」は、モウカザメ(=モロ)を使った料理です。海から離れた栃木では鮮魚が手に入らず、死後に身体からアンモニアを発生させるために腐敗しにくいサメが食材として重宝されていました。昔は甘辛く煮ることが普通だったようですが、かな半旅館では栃木の特産であるニラを合わせてさっぱりと現代風に仕立てています。
 
※注)「鳥の濃醤(こくしょう)」は、椎茸で取った滋味深い出汁に鶏の挽肉を加えてコクを出した味噌汁。漢方の観点から江戸時代にも使用されていたという黒コショウで味をととのえています。濃醤には「鯉こく(=鯉の濃醤)」のように、くせの強い川魚を具材として用いることもあったようです。
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※注)「鳥の濃醤(こくしょう)」は、椎茸で取った滋味深い出汁に鶏の挽肉を加えてコクを出した味噌汁。漢方の観点から江戸時代にも使用されていたという黒コショウで味をととのえています。濃醤には「鯉こく(=鯉の濃醤)」のように、くせの強い川魚を具材として用いることもあったようです。 photo by Yoma Funabashi
ほかには、江戸時代流に「煎り酒」とともにいただく鯛の刺身や「生麩田楽」、大根・人参の代わりにジャガイモを使った「芋なます」、クチナシの実で着色した「染飯」など。江戸時代に栃木で食べられていたであろう伝統的な食文化の一端を垣間見ることができます。

古文書から「江戸料理」を再現

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いっぽうの「本膳 かな半料理帖」は、キクラゲ、カボチャ、湯葉など煮物や染飯、鳥の濃醤からなる「本膳」、つぶ貝と長ネギの「豆腐ぬた」、「鯛の魚田」(後述)などの「二の膳」、鴨照り焼き、鮑煮、玉子焼き、凍み蒟蒻などを盛り合わせた「三の膳」を主体に構成される宴席料理です。こちらは、江戸時代に実際にかな半旅館で提供されていた料理を極力当時に近いかたちで再現しています。
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それを可能にしたのは、かな半旅館の蔵の中に眠っていた当時の献立を含む大量の文書の存在です(現在は栃木県立文書館が保管)。
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最近になって志鳥さんは栃木市の学芸員とともにその解読をはじめましたが、これが一筋縄ではいきません。なにしろ文字を読むだけでもひと苦労。加えて文書は献立だけではなく、食材の請求書やメモ書きのようなものまで多岐にわたっているうえに体系的にまとまっているわけでもありません。一読しただけではなにを意味しているのか見当がつかなかったといいます。
たとえば、「しみこん」という言葉が文書の中に見つかりましたが、これが「凍みこんにゃく」を表していることに気づくには時間を要したそうです。ほかにも「豆腐ぬた」という言葉が登場するものの、分量や作り方が載っているわけではありません。このときは江戸時代の「ぬた」には酒糟を用いていたことをべつの文献をあたって調べ、当時の仕立てに近づけることにしました。さらに「魚田」は「魚の田楽」のことではないか……という具合に地道に献立を作っていきました。
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こうした気の遠くなるような作業を経て生まれたのが本膳です。当時の商家の旦那衆は、このような料理を肴に酒を酌み交わしていたのかもしれません。かな半旅館では宿泊客はもちろん、予約をすれば昼ごはんとしてもここで紹介した献立を味わえます。歴史を感じる建物で栃木の郷土料理に触れ、江戸気分を味わってみるのも一興でしょう。女将が最高の笑顔で迎えてくれるはずです。
 
Text/Tetsuo Ishida