
昔ながらの野菜を育てる農家の矜持
ホテルやレストランの料理人から絶大な信頼を得ている野菜農家が、栃木県下野市にあります。昔の日本人が当たり前のように食べていた濃厚な味わい、強い香りの野菜を育てるために日々奮闘している海老原ファームに、料理人を魅了する野菜づくりの哲学を聞きました。
いまでは1年間をつうじて少量多品種の野菜を栽培している海老原ファームですが、もともとはこの地域の特産品である干瓢をおもに育てていました。しかしながら生産量は徐々に落ち込み、同時に手がけていたハーブ類も大手との価格競争に勝つことはできませんでした。そこで海老原秀正さんの代になってから、ほかの農家と差別化を図るために昔ながらの味の濃い野菜をつくることに専念しはじめたのです。

過酷な条件で育つ野菜たち
地道な努力を重ねるうちに県内のホテルの料理人などから徐々に野菜の味が認められるようになり、要望を受けて育てる野菜の種類も増えていきました。いまではニンジン3種、ナス5種、レタス6種、ハーブ10種……というように100種類もの野菜を育てるようになったのです。

野菜を栽培するうえで海老原さんがもっとも気を使っているのが、水分量の調整だといいます。一般的に植物は、たくさん水を与えれば早く成長します。早く育てばそのぶん生産効率が上がって、農家は収入が増えるわけですが、海老原さんは枯れないだけの最低限の水だけを供給し、野菜の生育をあえて遅らせているのです。

十分な水を与えられない植物は、土の中からみずからの力で水分を探し、蓄えなければなりません。こうした過酷な状況のなかで長い期間をかけて育った野菜の味は濃厚で、可能なかぎり水分を蓄えているのでみずみずしいわけです。

余分な水が苗に供給されないように、海老原ファームでは畑に高い畝をつくっています。たとえ大雨が降っても、雨水が畑に蓄えられることなく排出されるという仕組みです。畝をつくればそのぶん苗を植えられる場所が減って収穫量は少なくなります。必要以上に水を与えずに時間をかけて栽培すれば、そのぶん手間もかかります。それでも海老原さんは「安売りをしない」という哲学のもとに、生産効率ではなく野菜の品質を重視する選択をしたのです。すべては、おいしい野菜をつくるため。昔は普通に食べられていただろう濃厚な味わいと鮮烈な香りをもつ野菜を食べ手に届けるためです。
みずみずしさと濃厚な甘さ
海老原さんの野菜を少しだけ紹介しましょう。細身のニンジンは土っぽい香りと奥深い味わいで、口の中ではじけるようなみずみずしさ。

「レッドアンデス」と「ノーザンルビー」という2種のジャガイモは、いずれも収穫後にさらに1ヵ月ほど低温でねかせると熟成して糖度がさらに高まり、加熱するとねっとりとした食感になります。


取材時にはほかにもズッキーニ、ブロッコリー、各種キャベツやレタスなどが元気いっぱいに実をつけ、葉を広げていました。ひと畝ごとに野菜が整然と並んだ畑の美しさといったらありません。異なる野菜が畝ごとに作付けされた様子は、まるで野菜図鑑のようでもあります。

それでも海老原さんは特別なことをしているわけではないと話します。土の力を信じるだけ。自分はこの土地を預かっているので、それを後継者にわたすまでのあいだ守っているだけなのだと。

じっさいに海老原ファームは業容を拡大したいまでも、家族経営を貫いています。秀正さんと息子の寛明さんを中心とした家族が、力を合わせて野菜をつくっているのです。
「エビベジ」の温野菜サラダ
海老原ファームの野菜は、県内や都内の名だたるホテルやレストランで味わうことができますが、「エビベジ」の商標で一般販売もしています。東京の百貨店だけでなく、ホームページから購入できるので、だれでも簡単に体験することができます。

くわえて2023年7月15日から運行を開始する東武鉄道の特急「スペーシアX」内で販売する特製の弁当には、彼らの野菜を使った温野菜サラダが入っています。ぜひ、車内で一流の料理人が絶賛する野菜を味わってみてください。

Text/Tetsuo Ishida