
からっ風が育んだ、昭和の食卓の名脇役。
「経木」というものを知っていますか? 年配の方ならご存じと思いますが、若い世代であればピンとこない方も少なくないでしょう。おにぎりや総菜をつつんだり、鮮魚店の店先で見かけたりする素材のことなので、実物を見れば「あぁ、これか」となるかもしれません。経木づくりがさかんだった群馬県の桐生市を訪れ、つくり方や食文化とのかかわりについて教えてもらいました。
「経木」とは材木をごく薄く削った素材で、もともとは紙と同様に記録媒体として用いられていました。のちに包装資材として活用され、1960~80年代にかけてラップフィルムや発泡スチロールにその役割を取って代わられるまではずいぶん重宝されたものです。

県内で残るは2軒のみ
かつて群馬県の桐生には経木店が密集していました。最盛期には桐生をふくめた県内で50軒もの経木店が営業していたといいますが、現在残っているのは2軒だけです。そのうちの1軒が今回訪れた「阿部経木店」。阿部初雄さん、晋也さんの父子を中心に家族で経木づくりを続けています。

創業したのは初雄さんの祖父にあたる人物でしたが、初雄さんは父親から「経木づくりなんて時代遅れだ」といわれて、一度は経木と競合するプラスチック包装資材の会社に就職します。それでもいまから25年くらい前には実家にもどって家業を継ぐことを決意。さらに次男の晋也さんも、経木づくりの文化を守りたいという思いから職人の道を志しました。

現在、阿部経木店は直接取引だけでなく、専門問屋にも経木を卸しているので、近所の精肉店から豊洲の鮮魚店、京都の玉子焼き専門店まで多彩な業種や用途でその製品が用いられています。なかでも長く、太いつき合いなのが昭和38年創業の「下仁田納豆」です。

都心のスーパーなどでも販売しているので、見かけたことがあるかもしれません。昔ながらの三角形の包みの納豆で、その包装資材をつくっているのが阿部経木店の面々だったのです。抗菌作用や通気性にすぐれた経木は、納豆の包装資材として最適。下仁田納豆にとっては、阿部父子がつくる経木がなくてはならない存在なのでしょう。
時空を超えた工場の景色
そんなすぐれものである経木は、いっけん簡単につくれそうですが、じつは膨大な手間ひまがかかっています。晋也さんに工程を教えてもらいました。

01 阿部経木店では長野県産アカマツを使用します。幹の太さは直径30㎝くらい。アカマツはスギやヒノキに比べて皮が薄いので、節がある場所の見当をつけやすいといいます。くわえてアカマツはほかの種類に比べて抗菌作用が高いそうです。

02 電動のこぎりを使って節を避けて長さ60㎝くらいの円柱状に切り、皮をはぎます。これを「玉切り」といいます。

03 今度は指定された経木の幅に合わせて直方体に切り、表面をやすりがけします。

04 専用の機械を使って厚さ0.16~0.18㎜に削ります。写真の機械は昭和43年製。50年以上も現役で活躍している年代物ですから保守作業も大変です。現在、予備を含めて4台の機械を保有しています。

05 これまでは父子の仕事で、ここからは初雄さんの奥さんをはじめとする女性陣の出番です。薄く削られた木材は驚くほどたっぷりの水分を含んでいます。削りたてのみずみずしい経木を触れば、「木は生きているんだ」と実感できるはずです。これを脱水機にかけて、およそ7割の水分をとばします。

06 50枚ごとに束ねて工場の2階で3日程度乾燥させます。「からっ風」で有名な地域ですから、乾燥には適していますが、梅雨時などはさらに時間がかかるといいます。

07 重しをのせてゆがみを直すにも時間を要します。

08 1枚1枚品質を確認。取引先の要望に合わせて束ね、出荷します。
以上、工程を搔いつまんで記しましたが、いかがでしょうか。1枚の経木ができるまでに、これだけの労力がかかっているということに驚きませんか。何気なく見ていた経木が、尊いものに感じられてしまいます。なにより時が止まっているかのような工場の風景、木材と油の香り、響き渡る原始的な機械音。かつて日本中で見られたであろう昭和の家内工業の姿が、ここにはいまも残っているのです。

桐生と経木の知られざる関係
さて、群馬県、なかでも桐生に経木店が密集していたと前述しましたが、その秘密を初雄さんに教えてもらいました。鍵は木材を削る年代物の機械にあります。じつはこの機械、初雄さんの遠縁にあたる阿部儀秋さんが開発したものなのです。

それまでは削った経木を1枚1枚手作業で取り除いていたのですが、この機械が発明されてからはその手間が省けて一気に効率化がすすんだのです。

この機械が近隣の同業者に普及し、群馬県が経木の一大生産地になりました。阿部経木店に残る『群馬県経木製造史』によると、昭和35年ごろには東京で消費される経木の約7割を群馬県で生産していたそうです。木材が入手しやすく、冬には乾燥した「からっ風」が吹いて経木を乾燥させるのに適していたという点も、この地域で経木づくりがさかんだったことに関係しているのかもしれません。

昭和の商店街や食卓に欠かせなかった経木ですが、いまも時代を超えて健在です。職人が減ってしまったので、最近は生産が追いつかないほどだといいます。脱プラスチックへの関心が強まり、新規の需要が生まれていることも背景にありそうです。

経木を加工したメモ用紙や名刺といった新しい発想の商品も注目を浴びています。職人が手づくりする経木のすばらしさや食文化との深い関係に目を向けてもらえれば幸いです。

text / Tetsuo Ishida