現在、鋭意“復活”中!の「鹿沼在来そば」。

ソバの産地は日本各地にありますが、そのひとつである栃木県の鹿沼で注目を集めているのが「在来種」の存在です。独特の地形のおかげで現代まで残っていた「鹿沼在来そば」をブランド化し、生産拡大を図ることで、地域の活性化にもつなげようとしています。鹿沼だけで作ることができる希少な蕎麦を体験してみてはいかがでしょうか。

前編でも触れたように、東武日光線沿線の鹿沼では、江戸時代からソバが栽培されてきました。ソバの産地としてそこまで知名度は高くないかもしれませんが、山間にはソバ畑が広がり、市内ではたくさんの蕎麦店が店を構えています。それを目当てに鹿沼を訪れる蕎麦好きも少なくありません。
photo by Yoma Funabashi
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ソバ栽培のためにある土地

鹿沼の土地はもともと荒れ地が多くてコメづくりには向いていない一方で、日光山麓に位置する鹿沼の北西部はソバの栽培に非常に適しています。このあたりは昼夜の寒暖差が大きく、寒風にさらされることでソバの実のでんぷん質が低温糖化し、甘みが増すからです。
加えてソバと同じく鹿沼の名産である「麻」のあとに育った「『麻後(あさあと)蕎麦』は格別うまい」ともいわれていました。製粉・製麺会社の米山そば工業株式会社代表取締役で、「鹿沼そば振興会」会長の米山慎太郎さんによれば、麻を生産するのに肥料が大量に必要なことから、同じ場所で二毛作として栽培されたソバの味が濃くなったということです。
photo by Yoma Funabashi
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鹿沼では明治時代のはじめに用水路ができるまでは、ヒエやアワと並んで蕎麦が主食として重宝されていていました。昔から蕎麦は住民の生活に欠かせないものだったわけですが、米山さんたちがいま着目しているのが、それこそ明治や江戸の時代の人々も栽培していたであろう「在来種」の存在です。

「小さなソバ」の秘密

この在来種は最大径が4㎜程度で、一般的なソバの実よりもずっと小粒です。そのため現地の人は、「コソバ」、あるいはコメに形状が似ているので「コメソバ」と呼んでいました。調査の結果、このコソバ(コメソバ)こそが在来種であると判明したわけです。
photo by Yoma Funabashi
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小粒ということは、剥き実に対する甘皮(実の外側の薄い皮)の割合が多くなる。それゆえ、粉に挽いたときに香りが豊かな蕎麦になるといいます。加えて一般的な蕎麦に比べ、でんぷんの含有量が多いために甘みが強く、ポリフェノール由来の滋味深さをあわせ持ちます。こうした傾向は薄皮も一緒に挽き込んだいわゆる「田舎蕎麦」に仕立てたときに顕著とのことです。その一方でたんぱく質の含有量が低いので、歯切れよく、飽きずに食べられる食感に仕上がります。
それにしても、なぜ鹿沼の地に昔の在来種が残っていたのでしょうか。それには鹿沼独特の地形が関係しているといいます。

独特の地形が「在来種」を守った

ソバの受粉はミツバチをはじめとする昆虫が担います。ところが、鹿沼の産地周辺は尾根や沢がたくさんあって、昆虫たちがそれを越えられない。さらに稲作がはじまった明治以降はソバの栽培量が減少し、小規模生産者ばかりになったため交雑が起こりづらく、一部の畑で純粋な在来種が奇跡的に今日まで残っていたというのです。
米山さんたちは鹿沼の財産ともいえるこの在来種を「鹿沼在来そば」と名づけ、後世に残さなければならないと発起しました。というのも、すでに鹿沼でも通常の大粒のソバ、もしくは大粒のソバと在来種が交雑したソバがすでに主流になっているからです。

「鹿沼在来そば」復活への道

米山さんはさっそく、丁寧な畑仕事に定評がある永野、粟野、南摩、久我、大芦の各地区にある4軒の農家に協力を依頼します。尾根と沢が多い独特の地形を利用して交雑が起きないようにしながら、在来種の作付け面積を増やす試みをはじめたのです。圃場の海抜は190~380m付近の中山間地域で、栽培期間は70日程度(種用は80日程度)。夏に播種し、10月20日ごろに収穫するというスケジュールです。すでに農林水産省の「地理的表示(GI)保護制度」に登録申請も行っています。江戸時代から親しまれてきた鹿沼の蕎麦が、いま復活しようとしています。
photo by Yoma Funabashi
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在来種を使った風味豊かな蕎麦は、鹿沼以外の地域ではお目にかかることができません。蕎麦っ喰いならずとも、ロマンあふれるこの蕎麦を試してみたくはなりませんか? 鹿沼の地を訪れて時空を超えた「蕎麦の旅」を楽しんでみてください。
 
Text/Tetsuo Ishida